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2016年を振り返って

2016年を振り返ると、対外的には以下のような感じだ。

元日、義姉には顔を合わせたのみで済み、実家で平和なお正月。
母子でも、家族三人でも、旅行に出かけた。
子供は運動会や日々の生活で成長した姿を見せてくれ、七五三も無事に終了。

これが、モラハラバージョンだと、以下のようになる。

お正月、義姉のメールでの「既読スルー」に衝撃。
その後も義姉の無視、モラ夫の暴言に悶々。
春、初めて離婚カウンセラーの先生に電話カウンセリング、その後面談を受ける。
初夏にはモラ夫の暴言、暴力があり、実家に避難した私に、実母から追い討ちの暴言を吐かれた。
夏休みの旅行ではモラ夫から醜い暴言を受け、モラ夫と母子は別行動。
知人に相談するもモラハラへの理解はなく、ブログをスタート。
モラ夫は子供へ「バカ」と暴言を吐きまくり、子供の落ち込みが周囲から分かるほどにひどくなる。
七五三は嫌がらせ暴言あるも何とかクリア。
年末にはついに子供がモラ夫に反撃!

勿論楽しい事も沢山あったのだが、本当に色々なモラハラがあったし、我ながら良く頑張ったな、と思う。

この一年の出来たこと出来なかったことを総括しておきたいと思う。

出来たことは以下の三つだ。

①ひとりでも生きていける自分になった
結婚する前、結婚して間もない頃は、私は彼や夫依存症だった。
実母への満たされない思いを、彼や夫に求めた。
その頃、夫からのモラハラにあっていたら、私は壊れていたかも知れない。
でも、4年半のモラハラを受け、この家庭内いじめには絶対に屈するものか、と強い思いを持ち、反論できるようになった。
以前の私なら考えられない事だ。

子供と二人で、モラ夫の事を忘れて旅行を楽しめるようになったのも大きな進歩だ。
以前もモラ夫から避難するため母子で旅行したが、モラ夫から受けた仕打ちや、帰ったら何があるかといった事が常に頭から離れなかった。
今でも、周りの仲良し家族を見て少し悲しくなることもあるが、モラ夫の言動に気を使って過ごすより、母子で旅行したり遊ぶ方が気楽だと割りきれるようになった。

②ブログを始めた
ブログやSNSをされる方を見て、すごいなとは思ったが、これまで自分には発信することなんかないと思っていた。
そして、誰でもいいから私の思いをそのまま受け止めて欲しい、どこかに止まり木が欲しいと思っていた。
知人に相談した事もあるが、モラハラに理解がなく、願いはかなわなかった。

そうだ、こんなに自分の事を黙って受け入れて欲しいなら、その思いをぶつけてみよう、と、なんとなくブログを始めた。
匿名の、いまだにコメントを受ける勇気もない毒ブログだが、それでも自分の気持ちが整理され、自分の気持ちに向き合い、少しずつ自分がどうしたいのか考えるようになった。

③しがらみから離れられた
私は他人から良く思われたい人間だ。
大大大嫌いな義姉とどう向き合ったら良いのか、愛されたい実母にどうやったら自分だけを見てもらえるのか、悶々と悩んでいた。
もしも私が義姉や実母を無視したりしたら、周りが義姉との付き合い、実母との関係をどう思うだろうか、と気になった。
でも、どんなに私が努力しても、相手や関係を変える事はできないとようやく悟った。

それなら相手にするのはやめよう。
ただでさえ仕事と育児家事で自分の時間も満足にとれない状況なんだから、どうにもならない事に時間を使うのはやめよう。
一番大切な子供が望むのは、私がいつも笑顔でいることだ。
気を遣って疲れる位なら、会わなきゃいいじゃないか。
私が悪人だっていいじゃないか。

自分の思いを優先していいんだ、私は私なんだ、と思えた事は、この一年の最大の進歩だと思っている。

一方、出来なかったことは、今後の方向性を決めることだ。

自分の気持ちはかなり整理できたのだが、モラ夫との関係を自分自身は本当はどうしていきたいのかが、まだ分からないでいる。
離婚した方がよいなら今の方向性で良いが、それで本当に良いという確信がないのだ。

迷ってしまう最大の理由は子供だ。
子供への悪影響もあり離婚すべきだとの思いと、そうは言っても子供から父親を奪って良いのかという思いが常に戦っている。

また万が一離婚回避するとなったら、そのための方法も分からない。下手に出ても良い事はないとわかっている。

今は、モラ夫の「学童が終わったら離婚だ!」が現実になった時に向けて、小さく慎ましく暮らそう。
今こうだ、と決めるのではなく、ゆっくりすすめたい、と思っている。

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両親の前で…

七五三準備で美容室に行った際、モラ夫の嫌がらせを受けた私は、美容師さんに「七五三は母子でやることになるかもしれません…(涙)」とこぼした。
美容師さんからは「それなら、家族写真は無しにして、子供だけの写真を撮ったほうがいいかも知れませんよ。子供だけで撮る方はたくさんいらっしゃいますから。」とのアドバイス。

今回、私も和装する事になっている。
私のセットや着付けも全て予約ずみだ。
う~ん、どうしよう…

悶々と悩みながら、前日になった。
モラ夫は「明日のスケジュールはどうなってるんだ?聞いていない。」と言ってきた。
スケジュールはメールで共有しており、何ヵ月も前から伝えているし、今回私の支度もあるため口頭でも伝えている。
聞いていないってどういうことよ?と内心は思ったが、反論しても無駄なので、淡々とスケジュール、家族写真を撮ることを再度伝えると、モラ夫は言った。
「家族写真を撮るなんて聞いていない。」
私は心底驚いて、返した。
「予約の時に家族写真を撮るって伝えたよね?私も和装するけど、父親はスーツでも問題ないって話したよね?」
もういいや。家族写真は母子で撮ろう。せっかく子供に和装してほしいと言われたんだから、母子の記念を残そう。
私は覚悟を決めた。

当日、モラ夫は子供のフォローをし、家族写真にも参加した。
私の和装には何のコメントもなくスルーされたが、そもそもモラ夫から何か言ってもらえるとは期待していなかったし、慣れない和装で身動きとれない私に代わり、子供のフォローをしてくれているだけで充分だった。
モラモラされる事もなく、何とか、普通の七五三ができたと思った。

ただ、これで終わらないのがモラ夫のいるモラ家庭である。
実家に帰り、着物を脱ぐ段になった。
実母が子供の着物を脱がせるのを、疲れてぼんやりと見守っていると、モラ夫が言った。
「何で着がえないんだ。」
私はとっさに
「ここでは着替えられないでしょ。」
と返したが、疲れていて考えずに返したその答えが失敗だった。
モラ夫は両親、妹、子供もいる前で、大声で言った。
「ふすまを閉めて着替えればいいだろ。そんな事も分からないのか、このサルが!!」
私は、「そんな言い方しないでよ。モラハラ夫なんだから。」と返したが、両親は何も言わず固まっていた。
妹は、小さな声で「お祝いなんだから…」と言った。

最悪だ。
モラ夫にとっては義両親である私の親を前にして、よくそんな事が言えるなと思う。
私が逆の立場なら、遠慮があり絶対に言えない言葉だ。
両親、特に父親に、私の罵られる姿を見せてしまった事が申し訳なく、心底泣きたくなった。

それでも、何とか無事に七五三を終えることができた。
ほっとして気が抜けてしまい、翌日から醜い風邪を引き、一ヶ月が過ぎた今日もまだ治らない。
モラからのプレッシャーとダメージの強さを痛感させられた。

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美容室の日

11月の週末。
私と子供は七五三の準備で、いきつけの美容室を何ヵ月も前に予約していた。
私のカットとカラーが終わったタイミングで、子供がカットの予定。
モラ夫には何ヵ月も前から、私の不在中に子供を見てね、後から美容室まで連れてきてね、と頼んでいた。

美容室は、大手美容室から独立して日の浅い、個人経営の小さなお店だ。
我々が急にキャンセルしても代わりのお客様はいない。
また、今回は翌週に七五三を控えた事前準備で、翌週に振り替える訳にもいかない。
モラ夫はまた、子供を見ないと言い出すのではないかと心配で(過去に同じ嫌がらせをされている)、祈るような気持ちでこの日を迎えた。

…嫌な予感は的中した。
朝から、モラ夫は子供の着替えがないだの(タンスにある)、今日のスケジュールを聞いていないだの(何ヵ月も前から伝えている)、モラモラしてきた。
無視してもいけないが、丁寧に答えると益々つけ上がる事はこの4年半で実証済なので、淡々と接していた。

するとモラ夫は言い放った。
「そっちがそういう態度でくるなら、子供は見ないからな!」
キターーーーーーーーーー!!

モラ夫が子供を見なければ私は美容室に行けなくなる。
私の美容室の日は、嫌がらせの格好のチャンスなのだ。

モラ夫も同じ美容室に行っていて、美容師さんとは私よりも付き合いが長く、仲がよい。
私がキャンセルしたら美容師さんが困るのは知っているはすだ。
態度と言うが、そもそも先日子供にバカと言って以来、モラ夫は私に対して冷たい態度をとり続けていた。
そこまでされても、私がモラ夫に違う返し方をすれば良かったのか?
そうしたら、なんやかんや別の理由を探し出して子供を見ないと言っただろう。
元々今日は私に嫌がらせするつもりで、子供を見る気なんかさらさらなかったのだ。
そして、私が下手に出ても、結論は覆らないし、次の家庭内いじめのネタを提供するだけという事もよく知っていた。

美容室の日のいじめは既に二回目、私は意外にも冷静に返した。
「今日は七五三の準備って伝えていたよね?別にいいよ。当日にキャンセルしたら美容室が困るだけだから、子供だけカットしてもらうから。」
モラ夫は私が動揺しなかったのが気に入らない様子で、苦虫を噛み潰したような顔をしたが、少しして
「子供だけカットしてもらえば、別にあなたの髪をカットする必要はないからな。」
と言い放った。
はぁ?今回、私も和装するんですけど?家族写真も取るんですけど?
と思ったが、どうせ何を言っても無駄なので放っておいた。

子供と家を出て、慌てて美容室に電話して事情を話した。
子供は美容室の机でお絵かきをしながら待っていてくれ、何とか私もカットとカラーを済ませることができた。
七五三準備だからと状況を察して対応してくれたが、毎回こうはいかないだろうと申し訳なく思う。
次の予約はどうしようか。私の置かれた状況では、個人経営のお店に通うのは分不相応なのか。

我が子と年の近いお子さんがいらっしゃるサブの美容師さんが言った。
「大変ですね…。うちも旦那の言い方で頭にくることはいっぱいあるんですけど、我慢してるんですよ。自分も仕事していて、旦那に協力してもらわないと成り立ちませんから。」

…何気ないこの言葉が、後からじわじわ来た。
ひょっとして、私の我慢が足りないのかな。
共働きに旦那の協力が不可欠なのは、我が家も同じだ。
私も2年半、モラ夫の暴言DVを大した反論もせず我慢したんだけどな。
私が我慢しても、モラ夫は増長するだけで事態は悪くなる一方だったのに。

私はモラ夫から受けた嫌がらせで奥底にダメージを受けていたせいか、軽く落ち込んでしまった。
夫からのモラルハラスメントにあった事のない人には分からないものだ、と理解はしていたつもりなのだが…。
今回モラ夫の嫌がらせには動じなかった私だが、私はどうすれば良かったのか、何が正しいのか、分からなくなってしまった。

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止まらない嫌がらせ

幼稚園の休園日、子供はモラ夫と過ごすことになった。
休みにくい仕事が入っていた私は素直にありがたく思い、平日だが休日のような丁寧な朝食を作り皆で食べ、安心して会社に向かったのだが…

夕方、モラ夫から携帯の着信があった。
慌てて折り返すと、子供が出て
「パパにバカっていわれた。」
と泣きそうな声で一言。

子供があんなに嫌がっているのに、バカと言うのを止める気はないんだな。
これは、私への嫌がらせだな。
モラ夫への怒りがふつふつと沸いてきたが、まずは子供を慰めなければならない。

しかし、電話はモラ夫も聞いている。
しかも子供はモラ夫の側にいる。
困ったな、と思いつつ子供に
「バカっていうのはいけないよね。でも何で○くんはバカっていわれたの?」
と話しかけると、モラ夫がすかさず
「あんた達はいつもそればっかりだな!」
と私を怒鳴りつけ、ガチャンと電話が切れた。

不安ではやる気持ちをなんとか抑え、定時後、ダッシュで帰宅した。
帰宅して子供に駆け寄ると、モラ夫の不機嫌オーラがでている。

モラ夫は「次の休みはレストランに行かないからな。」「次の休みは行かないからな。」と不機嫌そうに二回繰り返して言った。

次の休みはレストランで子供の誕生会の予約をしていた。
出産前は夫が予約し時折訪れていたのだが、子供ができてからはゆっくり食事と言う訳にはいかず、でも年に一度子供の誕生会に行くのを楽しみにしていた。
モラがひどくなるにつれ、違う意味で食事どころではなかったのだが、毎年の行事だからと思い、去年も今年も、私がレストランに電話して予約したのだった。

私は、鼓動が早くなった。
でも、私がビクビクしたら余計に付け上がる事を知っているので、落ち着いて返した。
「別に構わないから。二人でいくから。」

モラ夫は
「自分がいかなければ一人分節約になるだろ。」
といつもの苦虫を噛み潰した表情で言ってきた。
“節約なら他でもできるでしょ、子供の誕生会くらい何で気持ち良くできないのか”と喉まで出かかったが、どうせモラ夫に何を言っても分からないのだ。
「二人分のプランだからあなたが来なくても節約にはならない」と事実だけを返すと
「他の人と行ってこい。」
と言ってきた。

要するに、私に嫌がらせできるならそれで良く、子供の誕生日を祝う気もないのだ。
私がモラ夫を責めるでもなく落ち着いていたので、次の嫌がらせのネタを探すべく、色々嫌みたらしく言ってきたが、「分かった。」とだけ返し、相手をしなかったら、それ以上の暴言には発展しなかった。

誕生会は二人で行き、モラ夫の顔色を伺うこともなく、ゆっくりお料理を楽しめた。
可愛いい子供がいて、仕事があり、食べること住むことに困らない。夫さえモラでなければ幸せなのに。夫さえ…。とこんな時いつも思う。
ジグソーパズルの最後の1ピースが、どうしても見つからないような気持ちになる。

帰宅してもモラ夫は私にも子供にも口をきかなかった。
暴言吐かれるよりはるかにマシで良いのだが、また暴言DVに発展するのは怖いので、実家に避難することにした。
実母の事を考えると気が重かったが、実父と子供を遊ばせにいくと思うことにした…。

4. 自立しなさいと言われて

学生時代、実母から毎日のように、「言うことがきけないなら自立しなさい。」と言われていた。
その頃、父は単身赴任で不在だった。実母と妹のいる家には、私の居場所がなかった。

大学入学後、ストレスから過食症と拒食症になった。吐くのが怖くて吐くことはできなかったが、食事を受け付けなくなったと思いきや、甘い物が強烈に欲しくなったり、夜中に冷蔵庫の中を探して、実母に責められた。
摂食障害は、女子高→男子ばかりの大学に進学して環境に馴染めなかったのが原因だと長年思っていたが、今頃になって、実母からの圧力が一番の原因だったのではないかと思うようになった。

大学に入りしばらくして、彼が出来た。
恥ずかしながら、中学高校時代は実母の命令で恋愛禁止だった。好きになった人もいたが、嫌なら自立するしかないし、残念ながらその力はまだなかったので、命令に従うしかなかったのだ。
彼ができてから、実家から逃げるように帰りが遅くなった。
居心地が悪いから家に帰りたくない→帰りが遅いから実母から自立しろと言われる
どこまでも抜け出せない悪循環スパイラルだった。

一方、彼が出来た事で、摂食障害はみるみる間に落ち着いていった。
彼は、自分のありのままを受け入れてくれる存在だと勘違い?していたからかも知れない。

就職して初めての夏休み、実家を出て一人暮らしを始めた。
自立しろ自立しろと毎日のように言われて息のつまる生活は、もう限界だった。早く自立しなければと必死でお金をため、満を持しての引っ越しだった。

私が脱出を決行した夏休み、実母は急に実父の単身赴任先に遊びに行くと言い出し、それを決行した。
決して、私が実母の不在中を狙って引っ越しした訳ではない。
就職してからは長期休暇以外に引っ越しすることは不可能だったので、就職してお金がたまった最初の長期休暇に絶対に引っ越してやる、と我慢しながら準備をすすめていたのだ。

案の定、実母からは、後出しじゃんけんのくせに
「親の不在中に引っ越すなんて。」
「家からお嫁に行って欲しかったわ。」
と散々文句を言われたが、
“こっちは長期休暇に引っ越すしかないんだよ。あんなに自立しろって言いつづけたくせに、あんたの都合なんか知ったことか!”
と心の中で毒づいた。(少しは反論したが、全ては言えなかった)

一人暮らしを始めて、初めて自分の鍵を持った。
考えてみれば、それまで自分の鍵を持ったことがなかった。
家にはいつも実母がいたし、実母が家を空ける時は鍵を「借してもらって」いたのだ。
一部屋だけの自分の城だったが、初めて、自由な空気を思う存分吸い込んだ。
本当に嬉しかった。

3. 満足のいく感謝とは?

ひっそりと立ち上げた低俗な毒ブログですが、個人的な日記ですみません…💦

また、なかなか本題に行けず申し訳ありません。
書くことで、自分の内面を整理している側面もあります。
いましばらく、お付き合い頂ければ幸いです。

妹とは不仲だった。
私は、実母が妹ばかり庇い、妹が悪い事をしても決まって私が怒られるので、妹をちょっと疎ましく思っていた。
妹も、いつも私のお下がりを着なければならず、また算数の得意でない妹は塾の先生から成績の良かった私と比較されたらしく、不満だったようだ。
兄弟姉妹でよくある話だと思う。

実母の口癖は、
「二人しかいないきょうだいなんだから仲良くしなさい。」
“私が頼んで妹を産んでもらった訳じゃないのに。”
私は心の中で毒づいた。
また、実母から一人っ子の父と祖母の悪口を散々聞かされていたが、
“私も一人っ子のほうが良かったのに。”
とも思った。
今なら少しは言い返せるのだろうが、その時は心の中で毒づきながら、実母の口癖を黙って聞くしかなかった。

私は、中学生の頃、反抗期も人並みにあったと思う。
道を外れた事はないが、何か新しくやりたい事が出てきた時、決まって実母と衝突した。
でも妹は、私がダメと言われた事は妹が頼んでもどうせNGだと分かったようで、反抗しなかった。
私が親に反発して道を切り開き、その後に妹がのうのうとついてくる、それなのに私だけが実母から疎まれる事が当時はたまらなく嫌だった。

また、実母の口癖は、
「自分を犠牲にして、あなた達のために全力投球してあげたのに…(その後、私への不満が続く。)」
実母が自主的にやった事でも常に感謝を求め、感謝が足りないと詰られた。
実母には誕生日や母の日のプレゼントを贈り、実母の満足いく量ではないのかも知れないが、家事も手伝っていたつもりだ。
実母には感謝しているのだが、実母が満足するにはどう感謝したらいいか分からなかった。

「そんな風に言う位なら何もしてくれなくていい…」と反論しようものなら、
「あなたのために一生懸命やってあげたのに、このありさま。」
と詰られた。

ここまで書いてきて、ようやく気付いた。
ああ、だから実母は私が暴言やDVを受けても、モラ夫への感謝が足りないって言うんだ。
私からの感謝を求める対象が、自分からモラ夫に移っただけなんだ、と。
でも、モラ夫に感謝していたからこそ、自分さえ我慢すれば…と我慢を重ねてしまい、モラ夫は助長してしまった。
やはり、実母の満足いく感謝とは何か分からなかったし、モラ夫にどう対応すれば良かったのかも分からなかった。

2. 母親のカウンセラー役

小学校3年生~高学年の頃には、私は母親のカウンセラー役を務めるようになっていた。

母は専業主婦だったので、私は小学校から帰ってくると手作りのおやつを食べながら、父と祖母の悪口、母自身の身の上話を聞かされる毎日だった。

おきまりのパターンはこうだ。

父親は一人っ子だからわがままだ。
祖母も一人っ子だからわがままだ。
実家に帰りたくても、母の両親はなくなり帰れる場所がない。
母の両親が生きていたら、結婚を急ぐこともなかったのに。
離婚したくても、経済力がないからできない。これからの女性は仕事をしなければダメだ。

このパターンが事ある事に何度も 何度も繰り返された。

私も、実母の身の上は気の毒だと思うが、実母の「一人っ子だからわがまま」と言う思考回路は、子供心にも非常に嫌だった。
私自身は、父も祖母も一人っ子の友達もわがままと思ったことはない。
父も祖母も、本人が望んで一人っ子になった訳ではないのに、本人が努力して変えられない「一人っ子」を理由に「わがまま」というのはおかしい。
どうしても父や祖母をわがままと言いたいなら、単純に「性格がわがまま」と言うだけで良いのに、と子供の頃からずっと思っていた。

妹はおやつを食べ終わると、さっさと自分の部屋へ逃げた。
妹は「その話、もう聞いた。」と突き放す事もあった。
私だって大好きな実父や祖母の悪口を聞きたくはないのだが、いつも私は逃げそびれ、その場を抜け出すことができなかった。

実母は、部屋に逃げる妹を見て
「Nちゃん(妹)はああやってすぐ部屋に行くのよ。頼りにならないわね。おばあちゃん(祖母)に似ているのかしら?」
「やっぱりお姉ちゃんは頼りになるわね。」
「やっぱりお姉ちゃんは違うわね。」
妹はずるいな、要領がいいなと思ったが、私が我慢して実母の話を聞いてあげれば、妹より私を気にかけてくれるだろうか、と思った。
不幸な母親のカウンセラー役が出来るのは私しかいないとも思っていた。

…この話にも、後日談がある。
7月、モラ夫から逃げて実家に帰った私に、実母は過去の話を蒸し返して私を責め立てた。
モラ夫に毒親のダブルパンチで心底苦しくなった私は、カウンセリングを受けた。
カウンセラーの先生は、モラ夫の言動に驚き、私の話を受け止めてくださった。
先生の暖かい言葉の数々に、私は思わず
「その言葉、実母から言われたかったことです…。」
と言った。

そして、先生に、実母の話をした。
「私は、何で長い間実母のカウンセラー役ができたんでしょう。」
と聞くと、先生は
「子供の頃は親に頼るしかできないから、カウンセラー役をするしかなかったんでしょう。でももう、お母さんの事はいいんじゃないかな。今はひとりでも生きられるのだから。」

私は学生時代、実母に早く自立しろ(=家をでていけと等価)と毎日のように言われていて、就職して早く家を出なければと思って過ごしていた。本当に辛かった。
でも、一人暮らしを始め、結婚し、長い年月が経つうちに、自立した時の喜びをすっかり忘れていた。

そうだ、今はもう、ひとりでも生きられるんだ!

先生の暖かい言葉に、心の曇りが晴れていくようだった。